オンラインで参加できるということで、第19回レファレンス協同データベース事業フォーラムに出席してみました。
何人くらい同接してるのかなと思ったら、優に200人とかいってびっくりしました。誰でも参加可とはいえ、こういうのって参加人数3桁いけば多い方、という認識だったので……
レファレンスに関しては、大学のときに司書資格を取る上で勉強した、というくらいなのですが、それはそれとして興味はずっとあったので参加してみた感じです。
ひと晩明けて内容について思ったところは、調べもののやり方、というより、調べものの考え方、について参考になったところが大きいな、と思いました。
特に喜多氏のオープニングスピーチが印象的で、「ドーナツ」について質問があったらまず「ドーナツ」を辞書で引く、というのに「え? あ? なるほど?」となりました。相手が話しているものと自分が知っているものが実は違うかもしれない、この視点は大事だなと思いました*1。
聞き慣れた単語でもとりあえず辞書を引く、というのは、確かに大事なのかもしれない……
あとは、専門的な分野というか、極端に狭い界隈でも「辞書」が存在する、ということに触れていたのも記憶に残っています。確かに「〇〇用語辞典」というのは、至るところにある気がする*2。
オープニングスピーチのあとは個別事例みたいな感じの紹介だったのですが、この中で印象に残っていたのは「自分にとっては簡単なレファレンスでも、他者にとっては困難なレファレンスかもしれない」ので細かな記録をしっかり残しておく、という話でした(どこの館か失念してしまいました……)
確かに、自分の慣れた分野ならすぐに回答できるかもしれないけど、不慣れな分野だったらそれは苦戦するなと。
また、レファレンス1件につき、30分という時間制限にもびっくりしました。30分で調べられるの??? という意味で。ただ、私自身、過去に地元の図書館で調べものを依頼したときは、30分くらいで回答が出てきたので、やはり司書(というかレファレンス業務)はプロの仕事だ……と思います。
それ以外ですと、一緒に棚を見ながら話しをする、というのも「なるほど」と思いました。口頭だけでなく、実際に本を見ながらなら「これじゃない」感、というのもわかりやすいのかな。
レファレンス、というか、営業とかでもよく出てくる話ですが、そもそも「質問者自身が何を質問したいのかわかっていない」というところから、本来の目的を引っ張り出す、というのがやはり難しいし、技術なんだろうなと思います。
村上春樹の面白い著作を探している人が本当に求めているのは文学の評価方法に関する論考ではないか(村上春樹の作品が面白いと思えない)、というのは「そこに着地するのか~~~」と素直に感心しました。
レファレンス共同データベースを見ていると「なんでその質問からその回答が出てくるのさ???」という事例もたまにあって、これは見ているだけで面白いです。
ほかにも福井県立図書館がまとめている「覚え違いタイトル集」もめちゃくちゃ面白いです。なんで「小野妹子の『ボルゾイ』」から「江國香織の『デューク』」になるんだよ。
www.library-archives.pref.fukui.lg.jp
その後のフリートークではAIについての言及があったのですが、登壇者の回答で、初めてchatGPTを使用した際に最初に投げた質問が「あなたの苦手なことを10個挙げてください」というのがあって「頭良すぎでは???」となってしまった。
それに対しchatGPTもちゃんと返したみたいなのですが、逆を言えば、(その回答が信頼に足るのであれば)chatGPTでは回答できない範囲を把握できるというわけで、調べものの最前線にいる人って、そういう考え方をしているのか、と。
あとは、回答が出るものなのか、出ないものなのか、という点。
研究とは後者のものである、という話がありました。AIはすぐに回答を出してくれるけれど、本来の研究というものは回答のないものを調べていく作業である、というのを久しぶりに思い出しました。
最後の交流会は参加しなかったのですが、休憩を含めた3時間、とても有意義な話を聞けたなあと思います。